図書館その後

留守電が入っていた。図書館からだ。別の図書館から借りた本の返却が遅れているので早く返すようにという催促だった。分かってはいたのだが、いつもなら行ける土曜日に仕事が入り、おまけに次の日曜日はとても外出できる状態ではなかった。月曜日は図書館が休みだし、火曜からは会議と出張が相継ぎ、閉館時間の五時に間に合うように帰れはしなかった。普通の本なら閉館後や休日は返却用ポストに入れておけばいいのだが、他の図書館から借りた本については直接返却カウンターに返却するというきまりがある。水、木、金は7時まで開館しているので、それまで待ってもらうしかなかった。

水曜日に遅延の詫びを言いながら、本を返すと古参の司書が言った。
「予算が三分の一減らされて、今度からはリクエストにお答えできなくなるかもしれません。できるだけ他の図書館から借りるようにはしますが。」
「図書館もですか。どこでも予算がカットされて、美術館も苦しいそうですね。」
「学芸的なところの予算を減らしてどうするんでしょうか。私たちも辞めさせられるかもしれませんの。ねえ。」
と、モニタの前に座っているこれも顔なじみの同僚に声をかけた。

がんばってください、と言いながらちょうど届いていたリクエストの本を三冊借りてその場を離れた。さいわい、この図書館の本ばかりだった。これならポストに返せるというものだ。この前、専門的な本が多いから、リクエストに答えられなくなるという話があってから、たしかに、県立図書館の本が回ってくることが多くなった。読めれば、どこの本でもいいと思ったが、返却の方法等融通が利かないのは困りものだ。

新聞には、その県立図書館の予算カットの記事が出ていた。雑誌を並べるスペースに歯抜けのように空きが出ているのを見て事態の深刻さが伝わってきた。このままでは、国会図書館から借りなくてはならなくなりそうだ。図書館の予算を削減しなければならないほど県の台所事情は苦しいのだろうか。県の職員は一人一人個人持ちのラップトップ型コンピュータを貸与されていると聞いたことがある。仕事に使うコンピュータまで自費で購入しなければならない我々とはちがうと思ったものだ。

無駄な予算をカットして他の予算に振り向けること自体は悪くない。ただ、県立図書館の予算をカットしてまで何を増やすのかがはっきりしない。予算案の審議は議員がしているのだろうから、議員たちには、図書館に使う金よりそっちの方が大事なんだろう。この次に回ってくる公報にはよく目を通しておこう。

2005-04-29 10:56:11 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)

overwork

仕事の担当が変わって、以前とちがう部署を今年の春から受け持っている。去年まで担当していたところとは何かと勝手がちがい、一つ一つの作業に目を届かさないでいると、かえって仕事の量がふえる。そこで、休憩時間はもちろん、昼食後の時間もつぶしてクルーの仕事ぶりに目を光らせているのだが、これが、いけなかったらしい。すっかり体の調子をおかしくしてしまった。

もともと、体と心は一つのものであって、気をつかいすぎれば。体も使いすぎてしまっているのだ。そこのところをわきまえ、かなりの部分を若いクルーに任せて、自分はデスクにいて、報告を待つだけにしていた。同僚の多くが忙しくしている中でひとり涼しい顔をしているのは精神衛生上もよかった。ところが、具体的な作業手順の説明やトラブルの対処に忙殺され、自分らしさを失ってしまっていたのだ。

それに追い打ちをかけるように会議やらクライアントとの打ち合わせやらが重なり、二つの会議をかけもちしたり、大幅な時間外労働を続けたりと、我が身を省みず仕事の鬼状態になっていた。あまりあてにされないでいて、そこそこ仕事ができるというのがいつものスタンスである。我を忘れてはいけない。どうやら、こんな自分でも人に期待されると弱いらしい。ついつい、いい人を演じてしまっていた。詩人も書いている。

ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか (吉野弘『奈々子に』)

まあ、調子を崩したといっても、熱を出して鼻水と咳がとまらないくらいなのだから、駄目にしてしまうというほどではない。熱の出所が流行りの風邪なのか花粉症なのかよくわからないところが曲者で、七度六分という熱も花粉症にしては高く、風邪にしては低いあいまいな高さだ。

嫌なのは、そんな状態であるのに、休日も仕事に出かけなければならないという自分の置かれている位置であり、休むこともできない自分の意志の弱さである。調子が悪くなってきて、医者に行こうとしていたが、だらだらと長引く会議のせいで診療時間に間に合わなくなったのが、調子を崩した一番の原因だった。医者を替え、薬も換えたのがよかったのか、咳もとまり、鼻水も出なくなってきた。自分の健康も管理できなくて何が仕事か。いつもそう思いながら、クールに人の仕事ぶりを眺めていた自分にしてこの体たらくだ。

春は新しい人たちとの出会いが多い。ついつい、気張ってしまう。何も今さら人によく思ってもらう必要などない。自然体で行けばいいのだ。早いうちに気がついてよかった。もっとも、引き受けてしまった仕事は今さら返上するわけにもいかない。出張やら会議やらは昨年より多いだろうが、慣れればなんとかやっていけるだろう。我を忘れさえしなければいい。長い時間を使って何とかものにしてきたのはこの「自分」くらいである。自分が大事にしてやらずにいて誰が大事にしてくれるものか。「病は気から」とは、なるほど上手いことをいうものである。

2005-04-24 10:42:50 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)

ラブ・アクチュアリー

世界はそんなに悪いものじゃない。現実には愛が溢れているじゃないか。空港に行ってごらんよ。到着する人を待つ恋人や家族でいっぱいだ。そんな、メッセージが込められた作品である。たしかにその意見には賛成だ。イデオロギーや宗教、民族のちがいが争いを生んでいるように見えるが、ひょっとしたらそれらは誰かのプロパガンダのせいで、ほんとうは人々はそんなに憎みあってなどいないのかもしれない。

まあ、そんなにノーテンキな訳はないだろうが、たまにはこんな映画もいい。クリスマス映画は人々の善意や愛に訴えるのが常套手段なのだから。観客もそこのところは分かっていて、少々あざといシチュエーションでも泣き笑いのうちに見て過ぎる。しかしだ、映画は何度も繰り返して見られる。クリスマスという公開時が過ぎれば、ただのコメディ。果たして、それに耐えられるかどうか。

「ブリジット・ジョーンズの日記」のスタッフが結集して作った映画という触れ込みである。たしかにヒュー・グラント、コリン・ファースの主演男優二人が顔を揃えている。監督は、「ノッティングヒルの恋人」「フォー・ウェディング」の脚本家リチャード・カーティス。おまけにキャストが凄い。「ダイ・ハード」のアラン・リックマン、エマ・トンプソン、リーアム・ニーソンと超豪華キャストである。アメリカ大統領役でビリー・ボブ・ソーントンが出演するなど、普通では考えられない。

ヒュー・グラントの英国首相が対米外交に弱腰だったのに、アメリカ大統領がお気に入りの秘書にちょっかいを出したことで、ライヴァル意識剥きだしで急に強気に出るところや、ヒュー・グラントが踊ってみせるダンス・シーンなど、笑いの勘所は押さえている。多くの登場人物が織りなす様々な恋愛模様をハイ・テンポで描いていく力量は初監督作品とも思えない手際の良さである。

しかし、である。「才子、才に溺れる」という諺もある。6組の男女の恋愛模様を一本の映画に収めて見せようという意図は、少々無謀だったのではないだろうか。ヒュー・グラントとコリン・ファースの二組はまあいいとして、アラン・リックマンとエマ・トンプソン夫妻の夫の不倫問題はどうなるのか。それよりも、心を病んだ弟のために、二年以上も片思いをしていた相手とやっと結ばれそうになったローラ・リニーのこれからはいったいどうしてくれるのか。編集の問題はある。興行的には二時間程度に収めなければならないだろう。それなら、どうして6組もの話を無理矢理詰め込んだのか。

「フォー・ウェディング」も「ノッティングヒルの恋人」も大好きな映画である。一組の男女の恋愛を描いて充分に楽しませてくれた。人と人が愛し合うのだ。すれちがったりもつれたり、誤解も行き違いもあって当然。それを解きほぐしながら大団円までもってゆくのがロマンティック・コメディの真骨頂だろうに。そのあたりの丁寧さが欠けているためか、今ひとつのめり込めないものを感じた。クリスマスに見なかったこちらが悪いのかもしれない。けれど、同じ脚本家の他の作品は何度見ても心に残る。これからも脚本、監督を兼ねる気があるなら、脚本家の気持ちを大切にする監督であってほしいと思う。この脚本家を買っている一人として、切に願う。

2005-04-03 23:28:35 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)





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