エデンより彼方に
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タイトルの書き文字を見ただけでため息が出た。なつかしい!そうなのだ。まだ物心つかない頃、学校から帰ってきて、テレビをつけるとブラウン管には洋画が流れていた。番組数の少ないのをカバーしていたのだろう。その頃の映画では、タイトルには流麗なカリグラフィーが使われることが多かった。今では、あまり見ることができない。古臭く感じられるからだろう。それが使われているというだけで、この映画が古き良き時代に捧げられていることが分かる。
しかも、本編が始まるとその色合いの鮮やかなこと。こんな色はふつうでは出せない。テクニカラー。当時の言い方でいえば「総天然色」である。季節を告げる黄葉、ヒロインの洋服の赤や緑と、人工的に着色した気配が濃厚な絵画のような色。どこが天然だか。
スタイリッシュな映像美に酔わせるのが目的かと思って気軽に見ていると、テーマはかなり深刻である。コネティカット州にあるスモールタウンが舞台。時は1950年代。車がクラシックで、見ているだけでよだれが出そう。タウン誌に紹介されるほどの美貌のヒロインは、当時としては最先端の家電会社重役夫人で、友だちを集めてパーティーを開くのが日常。人もうらやむ生活だったのだが……。
ヒロインを演じるのはジュリアン・ムーア。「ハンニバル・レクター」シリーズで二代目FBI捜査官を演じたあの女優である。クールな外面と、裡に秘めた激情を併せ持つ貴重なキャラクターが、この人の特徴。当然、いろんな役柄がオファーされるらしい。自分の持ち味を一つにしぼらずに何でも挑戦するところが頼もしい、注目の女優さんだ。
ファニー・フェイス流行りのハリウッドでは正統的な美女でもある。この映画の撮影中は妊娠していたらしく、ちょっと太めに見える。自慢のプロポーションは見せ場がないが、その分、衣裳は徹底的に選び抜かれて、色といい、形といい、申し分がない。まるでスタイルブックから抜け出てきたかのようだ。特に場面に合わせて赤とグリーンを使い分ける演出が見物。
隠してきた同性愛傾向に悩む夫を演じているのが、典型的なアメリカ白人男性を演じさせたら右に出る者がいないデニス・クエイド。いつもと違う抑え目の演技は必見。髪型や服装、物腰に至るまで、一見そうとは見えないが、その手の人にはきっと分かるのであろう雰囲気を醸し出して秀逸である。
夫の相手が、男性であったことに傷つきながらも何とか関係を修復しようつとめるヒロインだったが、気持ちは離れていくばかり。そんな時、父親に代わって仕事にきたインテリの黒人庭師と話が弾む。しかし、差別意識の強い田舎町のこと、美術館やレストランで黒人と親しげに話しているところを友人に見られて噂の的になる。心のつながりを求めているだけの関係だったが、親友にも理解してもらえず二人は苦境に陥る。
終幕の駅のシーンが哀切。ダンスシーン以外、それらしい関係を暗示させるシーンなど何もないのにヒロインの裡に育った感情が迸る寸前まで高まっているのが見ている者に伝わってくる。ジュリアン・ムーアならではの官能性が光る。顔の表情や手で心の奥に秘めた感情を表現できる、いい女優だ。
同性愛や人種差別に対する当時のアメリカの意識を描いて、静かな抗議の声を挙げる社会派映画のようにも見ることができるが、全体の造りから見て、50年代に活躍したメロ・ドラマの巨匠、ダグラス・サークを意識した映画と思って観るのが正しい。中年女性の心の葛藤を描いたメロ・ドラマである。カナディアン・メープルだろうか、画面を覆い尽くすばかりの美しい黄葉が、終幕では落ち葉となって街路にかさこそと音を立てるのが心にしみる。
2005-07-26 04:36:53 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)
旅愁
七月に入ってから、映画専門チャンネルは、「夏の日の恋」特集。その名もずばり「避暑地の恋」、それに「旅愁」、「旅情」と避暑地での少し危ない恋愛をテーマにした映画のオン・パレードだ。夏というのは、いつになっても、人を誘惑する季節らしい。
若いトロイ・ドナヒューが可愛い「避暑地の恋」も、キャサリン・ヘプバーンの「旅情」も毎夏と言っていいほどお目にかかる映画だが、クルト・ヴァイルの「セプテンバー・ソング」をヒューチャーした『旅愁』(September Affair)は、今回はじめて見た。『第三の男』のジョセフ・コットンと『レベッカ』のジョーン・フォンテーン主演。1950年制作のモノクローム映画だ。
第二次世界大戦で、敵国であったはずのイタリーにロケして作られた映画のようだが、街角にはまだ瓦礫の後も傷ましいというのに、敗戦国を舞台に恋愛映画を撮ってしまうアメリカという国のノーテンキ具合はいっそすがすがしいくらいのものだ。戦争を通じて、ヨーロッパ文化というものを肌で知ったアメリカ人には、その姿はかえって魅力的に映ったのかも知れない。
ポンペイ、カプリ、フィレンツェと、観光案内のように映し出されるイタリアの名所は、50年も前の映像だというのに、数年前に訪れたときのたたずまいと一つも変わっていない。同じ枢軸国であった日本の変わりようと比べると、自国の文化に対する温度差に目も眩むような気さえする。
映画は、飛行機の席で隣り合った二人の男女が、トラブルで緊急着陸したナポリで、修理の時間待ちに街を見物していて乗り遅れたのをいい機会にカプリ、ポンペイへと足を伸ばすうち、惹かれ合うという話である。男は、大会社の社長で、仕事一途の人生を見直すために一人旅に出ていた。妻との離婚も考えている。女は、ピアニスト。フィレンツェにいる師匠に会いに来て帰るところ。コンサートに自信が持てないでいる。
お定まりのように、二人は恋に落ちるが男には妻子がある。別れようと思った二人に、乗るはずだった飛行機の墜落のニュースが伝わる。過去の生活に別れを告げ、フィレンツェで新しい人生を送りはじめた二人のところに、アメリカから男の妻子がやってくる。夫の生存を知った妻のとった行動は……。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番が、ここでも効果的に使われている。『めぐり逢い』でも使われた悲恋のバック・ミュージックには定評のある曲である。ジョーン・フォンテーンの清楚な魅力がなんとも言えない。もう一つ驚いたのが、ジョセフ・コットンの妻を演じた知的な美女が、あの『八月の鯨』や『ドライヴィング・ミスデイジー』のジェシカ・タンディだったこと。クレジットを見ていてはじめて気がついた。面影はあるものの、全く別人の観がある。
『旅情』もそうだが、主人公たちの年代の高さにおどろかされる。立派に成人した息子を持った男が、旅先で出会った女性に一目惚れするのだ。今なら、ミドル・エイジクライシス扱いされるのだろうが、あの頃、恋愛年齢というのはかなり高かったにちがいない。責任ある大人の恋愛だけに、心の揺れ動きには切ないものがある。
青の洞窟やポンペイの遺跡。フィレンツェの風景など、モノクロームの画面に映し出される夏のイタリアの美しさに息をのんだ。恋は別にしても、あの紺碧の空には、いつかまた再会したいものだと色のない画面を見ながら、懐かしく思い出していた。
2005-07-06 22:17:12 | Permalink | コメント(2) | Trackback(0)

