忘年会再び
今年の忘年会は、今までにないほどひどかった。年々レベルが低下しているようだ。まず、会場が旧市街と新市街を隔てる宮川を渡った橋詰にある中華レストランというのが、困った。なにしろ、交通の便が悪い。予算の関係だろうか、市の中心部ならどこからでも来れるが、市街地を外れれば、乗り換えなしではこられない。乗り換えしてたら時間に間に合わない。飲まない人は車で来るからいいが、飲む者にとっては、交通手段の確保がいちばんなのだ。
結局、妻に送ってもらったが、妻も忘年会がかち合っていて、会場に車で行ったせいでノンアルコールビールで忘年会を終えたという。市の中心地なら二人ともバスで行けた。どちらもタクシーで往復させるような店ではない。センス・オブ・プロポーションの問題である。
中華ヴァイキングと銘打っているが、二時間で食べ放題飲み放題という割には料理の運ばれてくるのが遅い。はじまって半時間、ビールだけを飲まされた。そのあとも、注文した料理の出てくる順番がでたらめで、棒棒鶏が青椒肉絲のあとに出てくるわ、杏仁豆腐を食べ終わったあとで、麻婆豆腐が出てくるわと、胃の驚く展開には、あきれてしまった。
安い予算で、なんとかしようという幹事の考えはわからないではない。しかし、これでは憂さがたまる一方で、年忘れのしようがない。これだけ食べて、飲んだあとでボーリングに行くという面々と分かれ、帰ることにした。さいわい、家の近くに帰る人がいて、迎えの車に同乗させてもらったのはありがたかった。これで、川風に吹かれて帰宅していたら、治りかけた風邪がぶり返していたところだ。この寒いのにジョッキまで凍らせた生ビール(小さな親切、大きなお世話)では、心も体も温まるはずもなく、冷え冷えとした忘年会であった。
2006-12-23 10:27:51 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)
自転車に乗って
この間、百均でチェーンキーを買ったので、今日は晴れて自転車に乗って出かけることができる。盗られたって困るような立派な車じゃないのだが、鍵もかけずに放置して盗まれるという事態が許せないのだから仕方がない。こういうのを性格というのだろう。ほんとうはスタンドも立てずに壁にもたせかけておくような乗り方に憧れるのだけれどね。
車が停めにくいのでいつもは敬遠する店に昼食を食べに出かけることができるのも自転車のおかげ。その店は中国人シェフが手の届きそうなところで料理してくれるのがカウンター越しに見える。本日のランチは、焼売とピリ辛ラーメンに煮鰯と豆腐が付いたもの。相変わらず美味い。具だくさんのラーメンは、栄養面も充分に考えられているが、値段がまた上がっていたのは辛い。ランチで八百円以上というのは、ちょっと無理がある。
腹ごなしに川沿いを走ってみた。折りたたみ自転車なので、サイクリング風に颯爽とはいかない。思い切りこいでも何ほども進まないし、サドル位置が低く設定してあるので、膝が伸びずこぎにくい。それでも、家のある丘の上とちがって川沿いは平坦だから楽なものだ。かつて船による運送がさかんだった頃繁盛した河崎の町にやってきた。
近頃、流行りの町おこしの気運に乗って、立ち並ぶ古い蔵を使ってギャラリーやら喫茶店ができたようだが、赤福肝いりのおはらい町界隈の賑わいとはうって変わった閑散とした有り様にかえって詩情を感じるから不思議なものだ。誰もいない川沿いの町は、どこか欧州の街並みを思い出させるノスタルジイを漂わせている。
日に灼けた暖簾を掲げた古本屋からは、オールディーズのメロディーが路上に流れ出ていた。自転車を転がすにはうってつけの車の通らない眠ったような町だが、昔の問屋を思わせる蔵や倉庫の中の暗がりには、何かがありそうな気配が感じられて、興味がそそられる。また、今度カメラを持ってこよう。
2006-10-16 17:32:05 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)
ワールドカップ
やはり、というべきか、オーストラリア戦に負けたことで、ジーコ采配に対する批判が噴出してきた。選手交代に疑義を唱えるものが大半だが、ジーコスタイルに疑問を感じる人は前から多い。以前から監督交代を叫ぶ声は少なからずあった。さすがに、ワールドカップ寸前にはそんな声も消えていたが、負けたとなると、それ見たことか、という気持ちになるのも無理はない。
ジーコの言い分では、1点を守りきることのできない選手の戦い方が悪いということになる。日本人の考え方からすると、クールな発言である。しかし、外国、特にヨーロッパのプレスは、概ねそれと同じ批評が多いようだ。ヒディング監督の選手交代があたったからといって、ジーコ監督のそれのまずさが敗因だとはとらえていない。
サッカーというスポーツは、野球のような競技と比べ、プレイ中の選手の判断が大いにものをいう。ベンチからサインを送って監督の意志を伝えるといったやり方が可能な野球に比べれば、選手自身の責任がよほどに重い。そういう意味では、選手がまずかった、という言い方は分からないでもない。
しかし、DFの交代要員の層の薄さは、やはり心配である。宮本がイエローカードをもらったとき、妻が「宮本のかわりって誰かいるの?」と聞いてきたが、咄嗟に応えられなかった。「うーん。井原がいればなあ。」と、答えたが、DFの要になるような選手が他にいるだろうか。また、中澤もがんばっていたが、彼が故障したら、誰が彼のかわりをするのか。考え出したら不安要因があまりに多い。
中田は勝ち点6を狙うと強気の発言をしていたそうだが、その根拠がどこにあるのかは分からない。「走らなければ、サッカーはできない」と、マルタ戦の後で語った中田の予言通りの後半十分間だった。今度も予言通りの試合運びができるのか。ブラジルに善戦したことでクロアチアの意気は揚がっている。どんな戦いを見せてくれるのか、楽しみにしている。
2006-06-15 18:11:38 | Permalink | コメント(2) | Trackback(0)
新緑
黄砂がひどかった昨日は、遠くを見てもぼんやりかすんで何も見えなかったが、今日は、少し楽なようで山々がいろいろな階調の緑に染め分けられているのがよく見えた。
交差点を曲がったら、ガソリンが残り少なくなったことを知らせるアラームが鳴り出したので、帰り道、ガソリンスタンドに寄ることにした。行きつけの店がこのあたりでは安いのだが、通勤経路からは少し外れる。国道を降り、私鉄の線路をまたぐ跨線橋を渡り終えると、道は宮川の堤防に出る。河川敷に植えられた欅の並木が若い緑色に変わっている。この間までは花が残っていた桜並木もすっかり葉桜に変わり、少し来ていなかった間に川沿いの道は季節の模様替えをすませていた。
安いかわりに窓拭きのサービスがないので、備え付けの濡れタオルを持ってきて自分で窓を拭いた。黄砂で黄色く汚れた窓を拭くと、どうせ夜には雨だと分かっていても気持ちがいい。
満タン法で燃費を計算すると、リッター10.74キロメートル走ったことになる。なかなかいいじゃないか。滋賀まで走っているから高速も少し使ったが、これなら、まあまあだろう。
ワインが昨日で切れたのでいつもの店に立ち寄った。棚に並んだワインの価格が軒並み高くなっている。売り場の人に訊いても「そうですか」というばかりで、よく分かっていない様子だ。酒税が変わった話はまだ聞いていないが、仕入れ値の問題だろうか。お気に入りの銘柄もどんどん棚から消えている。仕入れの担当者が変わったか、バイヤーが変わったか、どちらにせよ困った問題だ。
駐車場に車を止めたら、めずらしくとなりのご主人が話しかけてきた。昨日、駐車場の前に車が停めてあって難儀していたのを見てくれていたらしい。何か貼り紙でも書いておいたらどうかと忠告してくれた。入り口の赤いコーンには駐停車禁止の貼り紙があるのだが、少しの間だから、と停める人が絶えない。自分だったら困るだろう、という想像力が働かないのだから、貼り紙をしても変わらないだろうと思う。そういう世の中だと思っていたが、他人のことを気にしてくれる人もいるのだから捨てたものでもない、と少し心が慰められた。
2006-04-26 18:09:51 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)
春愁
だれかが仕事中に駐車場の白線を引き直したらしく、ペンキ塗りたてのため、昼飯を食べに行こうと思っても車を出すことができない。仕方がないので、自転車を借りて近くのコンビニに出かけた。
作業服のお兄さんたちで混みあっている中、筍ごはん幕の内という弁当を買って外に出た。
サドルの位置が低すぎて足が曲がったままになリ、漕ぎにくかったので、途中で車をとめて調整した。足が伸ばせるようになったら、背筋が伸び、遠くが見渡せるようになった。
急にあたたかくなってぽかぽかの陽気である。田舎道を自転車で走っていると、遠くの山並みが春霞にかすんで、うす青からしだいに色を変え波のようにうねっているのが見える。家々の甍がまぶしい光をはねかえして、ペダルを漕ぐたびにキラキラ光る。
ぼんやりした気分でそんな景色を見ていると、このままどこかに旅にでも出かけたくなってくる。
どこか遠くの辺鄙な海辺の宿に投宿し、寝間着丹前姿でひねもす砂浜にでも寝そべって、小鳥や犬がやってくるのをながめていられたら、どんなにかいいだろう。
そんなことを考えながら、ふらふら帰ってきた。考えるだけで、なかなか旅になど出られないのは分かっているが、毎年この季節になると、旅心に誘われる。こういうのも春愁というのだろうか。
2006-03-27 12:47:35 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)
