自転車に乗って

この間、百均でチェーンキーを買ったので、今日は晴れて自転車に乗って出かけることができる。盗られたって困るような立派な車じゃないのだが、鍵もかけずに放置して盗まれるという事態が許せないのだから仕方がない。こういうのを性格というのだろう。ほんとうはスタンドも立てずに壁にもたせかけておくような乗り方に憧れるのだけれどね。

車が停めにくいのでいつもは敬遠する店に昼食を食べに出かけることができるのも自転車のおかげ。その店は中国人シェフが手の届きそうなところで料理してくれるのがカウンター越しに見える。本日のランチは、焼売とピリ辛ラーメンに煮鰯と豆腐が付いたもの。相変わらず美味い。具だくさんのラーメンは、栄養面も充分に考えられているが、値段がまた上がっていたのは辛い。ランチで八百円以上というのは、ちょっと無理がある。

腹ごなしに川沿いを走ってみた。折りたたみ自転車なので、サイクリング風に颯爽とはいかない。思い切りこいでも何ほども進まないし、サドル位置が低く設定してあるので、膝が伸びずこぎにくい。それでも、家のある丘の上とちがって川沿いは平坦だから楽なものだ。かつて船による運送がさかんだった頃繁盛した河崎の町にやってきた。

近頃、流行りの町おこしの気運に乗って、立ち並ぶ古い蔵を使ってギャラリーやら喫茶店ができたようだが、赤福肝いりのおはらい町界隈の賑わいとはうって変わった閑散とした有り様にかえって詩情を感じるから不思議なものだ。誰もいない川沿いの町は、どこか欧州の街並みを思い出させるノスタルジイを漂わせている。

日に灼けた暖簾を掲げた古本屋からは、オールディーズのメロディーが路上に流れ出ていた。自転車を転がすにはうってつけの車の通らない眠ったような町だが、昔の問屋を思わせる蔵や倉庫の中の暗がりには、何かがありそうな気配が感じられて、興味がそそられる。また、今度カメラを持ってこよう。

2006-10-16 17:32:05 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)

頭文字(イニシャル)A

休日出勤が続いたので、休みをとった。ふだんは行けない銀行関係の送金その他、たまの平日の休みにはすることがいっぱいある。カーテンを替えたので、房かけ用の金具の付け替えもしなければならない。近頃は、何か要りようになると百均をのぞいてみるのが習慣になった。昔でいえばよろずや。専門店を探すより手間が省けるのが何よりだ。この店だけでたいていの買い物を済ませてしまえるのがいい。思った通り、つや消しの金属色の物が手に入った。日本製で百円。専門店なら二倍以上はするだろう。

ニケが、ゆっくり寝そべって窓から外を見るために窓の下に置く棚を買ったので、カーテンも短い丈に替えたのだが、三つの棚を揃えて並べるために連結金具も買った。これも百円。ついでに折りたたみ自転車用の鍵も買って店を出た。お昼になったので、どこで食べようかと車を走らせていると、久しぶりの秋晴れに遠くの山が青くかすんで見えた。そろそろ薄も出はじめたか、と思ったら青山高原に行きたくなった。

小一時間も走っただろうか。久居の「天下一品」でラーメンと餃子の食事をすませて、青山高原に向かった。平日で車は少ないかと思ったが、結構つまっていた。それでも山道にはいると、さすがに車は少なく、ヒールアンドトゥーを試してみた。映画『頭文字D』を見てから、ずっと山道を走ってみたいと思っていたが、まだまだ、新しい車なので、ガードレールをこすったりしないように加減してしまう。

山頂の薄はまだ穂が開きはじめたところで、銀色というよりは薄茶色。それでは、とブナ林を見てみることにした。青山高原には日本最南端のブナ林がある。山頂小屋から少し行ったところから、鉄の橋を渡ると奥山愛宕神社の参道が尾根越しに続いている。山頂小屋の番人に1.7キロメートルで約30分と聞いて歩きはじめたが、快適なのは最初のうちだけで、すぐに上り下りがはじまった。檜の林の中は、昼でも暗い。道は整備されているが、人間の歩く気配というものがない。熊笹の生い茂る尾根筋を歩いていると、熊に出会いはしないだろうかとさすがに心配になる。

神社の前は深い谷になっていて、両側の斜面から木々が狭い空に向かって枝を広げている。ブナの原生林らしいが、独特の形状をした丸っこい葉っぱが、どうにかそれと分かるほど遠くに見えている。朴が、これなら分かるだろうと、その横に広い葉を広げていた。下りの多かった往きと比べ、急な階段を上る帰り道はきつかった。運動不足が続いているせいか、心臓はバクバクするし、膝が笑う。滴り落ちる汗を拭くタオルも持参しなかったのが悔やまれる。ネルシャツの袖で拭いながらどうにか、駐車場まで戻った。

自販機で冷たいお茶を買ってベンチに座った。麓の町々が遠くまで見渡すことができる。山の端には風力発電用の大きな白い風車が風を受けてゆっくり回っている。お茶が体に染み渡ると、心臓の鼓動も落ち着いていった。足の方はまだ、ガクガクしたが車に乗れば関係ない。一気に下って猪倉温泉までやって来た。

汗をかいたので一風呂浴びて帰ろうと思った。温泉グッズの用意はないので、ダッシュボードに入れてあった窓拭き用のタオルを手に持った。なに、湯舟に浸かる前に石鹸で洗ってしまえばいいのだ。久しぶりの露天風呂を堪能して、気分はすっかりリラックスした。帰りも快適に走ったが、途中眠くなってきたのにはまいった。最近は、妻の運転ばかりで温泉の帰りはいつもぐっすり眠っていたのだった。たまにひとりでのんびりするのもいいと思ったが、温泉のあとは、やはり助手席がいい。ガムで眠気を覚ましながら、どうにか帰り着いたのだった。

2006-10-11 21:06:31 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)

ワールドカップ

やはり、というべきか、オーストラリア戦に負けたことで、ジーコ采配に対する批判が噴出してきた。選手交代に疑義を唱えるものが大半だが、ジーコスタイルに疑問を感じる人は前から多い。以前から監督交代を叫ぶ声は少なからずあった。さすがに、ワールドカップ寸前にはそんな声も消えていたが、負けたとなると、それ見たことか、という気持ちになるのも無理はない。

ジーコの言い分では、1点を守りきることのできない選手の戦い方が悪いということになる。日本人の考え方からすると、クールな発言である。しかし、外国、特にヨーロッパのプレスは、概ねそれと同じ批評が多いようだ。ヒディング監督の選手交代があたったからといって、ジーコ監督のそれのまずさが敗因だとはとらえていない。

サッカーというスポーツは、野球のような競技と比べ、プレイ中の選手の判断が大いにものをいう。ベンチからサインを送って監督の意志を伝えるといったやり方が可能な野球に比べれば、選手自身の責任がよほどに重い。そういう意味では、選手がまずかった、という言い方は分からないでもない。

しかし、DFの交代要員の層の薄さは、やはり心配である。宮本がイエローカードをもらったとき、妻が「宮本のかわりって誰かいるの?」と聞いてきたが、咄嗟に応えられなかった。「うーん。井原がいればなあ。」と、答えたが、DFの要になるような選手が他にいるだろうか。また、中澤もがんばっていたが、彼が故障したら、誰が彼のかわりをするのか。考え出したら不安要因があまりに多い。

中田は勝ち点6を狙うと強気の発言をしていたそうだが、その根拠がどこにあるのかは分からない。「走らなければ、サッカーはできない」と、マルタ戦の後で語った中田の予言通りの後半十分間だった。今度も予言通りの試合運びができるのか。ブラジルに善戦したことでクロアチアの意気は揚がっている。どんな戦いを見せてくれるのか、楽しみにしている。

2006-06-15 18:11:38 | Permalink | コメント(2) | Trackback(0)





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